映画『浅田家!』が動き出すきっかけ
見たことのない写真集との出会いが映画化へ
写真家・浅田政志との出会い
浅田政志の2冊の写真集「浅田家」「アルバムのチカラ」(赤々舎刊)を原案とした映画『浅田家!』の企画は、『ピンポン』『ジョゼと虎と魚たち』『ノルウェイの森』などのプロデューサーとして知られる小川真司が、2012年にアスミック・エースから独立したタイミングで「地元で映画を撮りたい」「同じ三重県出身の写真家を題材にした映画を撮りたい」「家族の映画を撮りたい」という想いを発端にスタートさせた企画だった。そもそも2008年に浅田氏の写真集「浅田家」が出版された時、アスミック・エースの別のプロデューサーが注目して企画していたが実現化できなかった。ユニークな題材ではあるが、当時それほど有名ではなかった写真家を題材にした映画を撮る、その壁は想像以上に高かったのだ。2012年に独立した時、地元・三重が舞台の「浅田家」の映画化に向けて動きたいと、浅田氏を紹介してもらうところから企画はスタートした。そして、翌年脚本に菅野友恵を迎え、浅田家に取材に行き、長年温めてきた想いを形にする作業に取りかかった。小川は他の作品を製作しながら合間を縫って菅野と打ち合わせを続けた。そして2015年、浅田政志の次なる作品「アルバムのチカラ」が出版される。その写真集は、2011年3月11日の震災以降、東北沿岸部各地で写真洗浄の活動が自然発生的に行われていることを知った浅田氏が、2年間にわたって現場を取材したものだ(書籍は藤本智士と共同著作)。単に面白い家族写真を撮るだけではない、震災後の東北へ行きボランティアで写真洗浄という活動をしている。そんな浅田政志という人物の魅力と興味はますます膨らんでいった。
家族を描くなら中野量太監督だ!
脚本制作と並行して監督を誰にするのかで、新たな壁にぶつかる。これまでに名だたる監督と仕事をしてきた小川だが、この『浅田家!』の監督として必要だった要素は「浅田さんのような監督、浅田さんと相性のいい監督」であることだった。そんなタイミングで出会ったのが、中野量太監督だ。2人は『トイレのピエタ』(松永大司監督)のトークイベントのゲストとして出会った。中野監督と言えば『湯を沸かすほどの熱い愛』『長いお別れ』でヒットを飛ばし、次作が気になる監督として日本映画界で注目を浴びている存在だが、小川と出会ったときの代表作は『チチを撮りに』。『湯を沸かすほどの熱い愛』は、まだ発表されていないタイミングでのオファーだった。理由は、中野監督のオリジナリティ、家族をテーマにしていること、なにより浅田政志と通じる何かを感じたこと、それが決め手となった。オファーを受けた中野監督が『浅田家!』の企画に惹かれたのは、写真集「浅田家」を見て、間違いなくユニークな家族のドラマがあると思えたこと。そして「アルバムのチカラ」を読んで「知らなかったことを伝えるのは、映画の役割だ」と、強い感情が自身のなかに生まれたからだった。というのも、東日本大震災後、映画監督として3.11を題材にした映画を撮らなければならないという想いはあったものの、どんな形で映画にすればいいのか、ずっと葛藤していたのだという。それが「浅田家」と「アルバムのチカラ」と出会ったことで、その葛藤が解けた。やるべきことが見えた瞬間だった。
写真洗浄を通じて3.11を描く
「浅田さんがものすごく真面目な戦場カメラマンのようなタイプだったら、たとえ写真洗浄をやっていてもそこまで惹かれなかったと思うんです。でも浅田さんはユニークで人を惹きつける魅力を持っている。彼を通してだったら、3.11を描けるのではないかと。だから家族の話でありつつ、もっと東北パートを膨らませたいと思いました」。中野監督は、オファーを受けた当時をふり返るなかで、懸念していたこともあったと話す。「自分が描くのであればエンターテインメントにしたい。でも、3.11を本当にエンターテインメントにしてもいいのか……」という不安だ。しかし、その不安は実際に東北に取材に行き、浅田氏から紹介してもらった人たちに会って話を聞くことで、絶対に撮らなければならないという力強い確信に変わっていった。中野監督は言う。「話を伺った方たちは心の奥に悲しみを背負っているのに、たくましくて、前向きで、逆に僕たちのほうが勇気づけられました。彼らに映画を届けたい、観て、喜んでもらいたいと思ったんです」。映画のクライマックスのエピソードとなる莉子と彼女の家族の話は、取材を通して新たに生み出されたフィクションではあるが、ほかは全て取材をした人たちの実際のエピソードに基づいている。小川は「『ホテル・ニューハンプシャー』や『サイダーハウス・ルール』の映画化でも知られるジョン・アーヴィングの小説の登場人物たちのように、どんな厳しいことがあっても前向きでユーモアを忘れずにいる人々を描きたいと思っていました。震災を乗り越えようとする人たちの姿はそれと重なります」と語っている。
二宮和也を中心に映画版の浅田家が誕生
親を想う子、子を想う親、普遍的な家族の愛
どんな役も愛おしく演じる二宮和也の天才的演技力
浅田政志を誰が演じるのか。『浅田家!』の企画が動き出すと、政志探しも始まった。各プロデューサーと中野監督、主要メンバーがそれぞれ候補者を出しあうなかで、全員が挙げた人物が、二宮和也だった。彼に浅田政志を演じてほしい── とはいえ、多忙なスターのキャスティングは決して容易ではなく、撮影スケジュールの調整を含めて半年を要することになる。二宮に託したかった理由はいくつかある。天才的な演技力はもちろん、マイペースで飄々としているところが政志と似ている、それも決め手だった。また、一見どうしようもないダメなヤツに見える政志を憎めないキャラクターとして、愛嬌あるキャラクターとして演じられることも重要だった。家族や恋人を巻き込んでしまう自分勝手さを、二宮和也ならきっと魅力的な人物として体現してくれるはずだと。全員一致で、やはり浅田政志は二宮和也以外にいないという結論に至り、他の選択肢はなかった。
初共演にして兄弟感100%妻夫木聡のお兄ちゃん力
浅田政志=二宮和也が決まると、そこから兄、両親、恋人、彼をとりまく人物のキャスティングは自然と決まっていった。二宮の次に決まったのは、兄・幸宏役の妻夫木聡だった。映画のなかでも、父親のために消防署で写真を撮りたいという弟の無茶なお願いに、兄は文句を言いながらもセッティングする。そんな浅田家を象徴するエピソードをはじめ、とにかく“弟に振り回される兄”という兄弟の構図が浅田家の特徴のひとつになっている。実際の妻夫木自身は兄ではなく弟ではあるが、彼の人の良さ、包容力、真面目さ、落ち着き感はお兄ちゃん的である、それが起用理由となった。演技力の確かさは言うまでもない。二宮妻夫木は意外にも初共演だったが、兄弟としてのバランスは素晴らしくぴったりで、中野監督は「僕、お兄ちゃんが政志を東京に送り出すシーンが好きなんですが、妻夫木さんがお兄ちゃんを演じるとしたら……と想像したとき、そのシーンが自然とイメージできたんですよね」と、監督の直感としても妻夫木に確かなものを感じたという。
弟・政志の成功は兄・幸宏の支えがあってこそ
兄の協力なくして写真家・浅田政志は成り立たないと言っても過言でないほど、浅田氏は兄に支えられている。中野監督は撮影前の取材で兄・幸宏氏にたずねた。「アイツ(弟)には苦労させられてばっかりだと言いながら、どうして手伝うんですか?」と。返ってきた言葉は「父ちゃんと母ちゃんが楽しそうだから。喜ぶから」── とてもシンプルで、とても愛のある答えだった。中野監督は「お兄さんのその言葉がすべてだと思いました。家族の関係性がそのひと言でぜんぶ成立する。この家族をどういうふうに描けばいいのか、お兄さんから答えを教えてもらいました」と語る。映画のなかには、両親を喜ばせるのは政志の役目、そんなセリフも登場する。兄弟のシーンはいくつかあるが、たとえば父親の体調を案じて病院に見舞いに行く前に2人で回復祈願をしようと専修寺に寄るシーンがある。幼少期にその境内で父親に写真を撮ってもらったことを思い出して語る、兄弟の歴史をなんとも自然に演じる二宮妻夫木は、どこからどう見ても兄弟だった。何気ない会話を、何気なく演じてしまう、そんな凄さがある。余談だが、専修寺での撮影の前日に2人で食事に出掛けたと聞いている。ほかにも、父親が倒れて病院で兄弟ゲンカになり、幸宏(妻夫木)が政志(二宮)の胸ぐらを掴む場面は「本当に兄弟のような感じで震えた」と小川は印象的なシーンとして挙げている。
本物の浅田家と映画の浅田家、中華でご対面
両親を楽しませたい、喜ばせたい、そう思わせるような両親であること── 父親の章を平田満が、母親の順子を風吹ジュンが演じている。4人揃ったときのバランスも大切だが、父親は無骨だけれど優しくて主夫姿も似合う俳優という理由から平田になった。母親に求めたのは温かさと可愛らしさだ。コスプレで撮影する家族写真を心から楽しめるキュートさを持っている母親を演じられる人、風吹もまたベストキャスティングとなった。二宮妻夫木風吹平田、浅田家のキャスティングが決まると、監督の強い要望で、俳優陣は本物の浅田家と対面する機会を与えられた。実際の浅田家のある三重県津市を訪れ、一緒に中華を食べ交流を深めたそうだが、浅田家全員に会ったことが後々の演技に大いにプラスになっていった。本物の浅田家の空気感が映画の浅田家に伝染したような、本物の浅田家に負けず劣らずのナチュラルな家族らしさがスクリーンに映し出されている。
菅田将暉と黒木華を通して描かれる浅田政志像
浅田政志が写真洗浄をするきっかけとなる人物、同志のような関係を築くことになる小野役には菅田将暉が選ばれた。小野にも実在するモデルがいる。その人物と菅田の雰囲気が少し似ていることと、菅田サイドの「二宮さんと一緒に仕事がしたい」という希望、中野監督の「『そこのみにて光輝く』を観て、いつか自分の作品に出てほしいと思っていた」という希望で実現した。浅田政志の幼なじみであり、良き理解者のひとりである若奈役は黒木華二宮とは『母と暮せば』に続いての共演となる。政志に対して啖呵を切る、可愛らしく接することもできる、そして尻も叩ける女性を演じられる女優という意味でも黒木はハマり役だった。政志と若奈の共演シーンで印象的なのは、防波堤での芝居。若奈にある質問の答えを迫られるシーンは、写真家としてではなく、ひとりの男としての政志が映し出される、この映画のなかでの一番のラブストーリー的シーンになった。もちろん若奈にも実在するモデルがいる。浅田氏の妻だ。
現場のスタッフも泣いた!
二宮和也の七色の涙
撮影前からカメラに触れること
撮られる立場から撮る立場へ。写真家役を演じるにあたり二宮和也は「撮る立場の人の気持ちを知ってしまうと、今後わがままを言えなくなるから……」と、敢えて写真家としての準備はしなかったと冗談まじりに語っているが、役づくりはしなくても、カメラに触れる時間は惜しまなかった。クランクインの前から写真を撮りたい、そんな本人の希望で浅田氏がカメラを用意した。撮影中も、スタッフや共演者を「こっそりと撮っていた」という。写真家としての所作がナチュラルであるからこそ、感情を表現する芝居がよりいっそう光る。中野監督や撮影スタッフは、幾度となく二宮の芝居に心を奪われた。ちなみに、この映画の撮影現場には常に何人ものカメラマンが居た。撮影カメラマン、メイキングカメラマン、スチールカメラマン、浅田カメラマン、二宮カメラマン。二宮が本物の浅田兄弟を撮影する、そんな微笑ましい一幕もあった。
二宮和也が見せたいくつもの涙
写真集「浅田家」が写真界の芥川賞ともいわれる木村伊兵衛写真賞を受賞するまでの前半のストーリーと、東日本大震災が起きてからの東北を舞台にした後半のストーリー。この映画は大きく分けて2つのストーリーが展開する。そのなかで、二宮は浅田政志として何度も泣く。彼が凄いのは「それぞれの涙がぜんぶ違う涙に見えること」だと内山プロデューサーはいう。病気と戦う息子を持つ家族を撮るときに流す涙をはじめ、小野を励ますときの涙、自身が送り出されるときの涙……目に涙を浮かべる、涙が頬をつたう、ひとつひとつの涙がそれぞれのシーンの政志の感情を表現している。観客を感情に引き込む二宮の芝居に現場のスタッフがもらい泣きをすることも多々あった。中野監督が泣きのシーンでリクエストすることもあった。虹の写真を撮るシーンでは、最初は目を潤ませる程度の芝居だったが、監督が「涙を流して欲しい」と言うと「分かりました」と、次のテイクではカメラのファインダーを覗く二宮の瞳から大粒の涙が溢れ出していた。「ただ泣くだけではなく、どういう気持ちなのかすべて分かったうえでの涙、理解しての涙だから本物に見える。さすがです」と、監督を唸らせた。
写真集の家族写真を100%再現する
浅田家、そろって消防士になる
この映画の特徴のひとつは、写真集「浅田家」に掲載されている家族写真をそっくりそのまま再現すること。しかも浅田政志本人による撮影だ。最初の撮影は《浅田家『消防士』》。写真集の表紙になっているあの写真の再現からスタートした。ロケ地は三重県の津にある消防署。実際の消防署、本物の消防車、キャストが身に纏っている消防服も当時実際に使っていたものを借りるというこだわりだ。その日、二宮妻夫木風吹平田、劇中の浅田家の全員が撮影としては初めて顔を揃えた。再現写真を撮影スケジュールの最初に持ってきたのは中野監督の計らいだった。食卓などの芝居場よりも先に再現撮影のシーンを入れることで、自然とキャストが家族になっていく、そんな監督の思わく通り、4人はあっという間に浅田家として同じ色に染まっていった。再現写真の再現率はほぼ100%だ。先ほどの消防士の撮影では、各々のポーズだけでなくホースのよじれまでミリ単位で再現している。写真家・浅田政志のこだわりを全員が目撃した日だった。別日の再現撮影では、1日に5〜6カット撮影することもあり、『消防士』に続き浅田家のなりたかった職業シリーズ『極道』や『レーサー』、ほかにも『選挙』『バンド』『大食い選手権』『日本代表』『疲れたヒーロー』……再現撮影は全部で19点にも及んだ。
中野監督が描きたかった家族と3.11
中野監督こだわりの浅田家のロケセット
「もう一人の主役のようなもの」だと、中野監督がギリギリまでこだわって探したのが、浅田家のロケセットだ。幼少期から大人まで兄弟の成長を見守る存在である家、監督が思い描く家が見つかったのは、撮影直前だった。「政志が帰りたくなる家、浅田家らしい食卓がある家にしなくてはならないと思っていましたが、イメージにあう家がなかなか見つからなくて……最後の最後にスタッフが見つけてきてくれました。あの家を見たとき、実際の浅田家と間取りは違うけれど雰囲気は似ている、ここならいける!と感じました。ベランダの雰囲気もよかったです」と、こだわりを貫いた。撮影現場を訪れていた浅田氏本人に聞いたところ、家具やインテリアなどの内装から玄関の風変わりな看板まで、かなり似せて作られているという。たとえばリビングの壁一面にずらりと飾られた提灯は、父・章がいろんな土地へ旅行に行ってはその記念に買ってきたものだったり、やたらと時計が飾ってあるのも浅田家らしさ。それをスタッフは丁寧に再現している。なかでもインパクトがあるのは玄関先だろう。「たばこ」の看板、「○○商店」と書かれた看板、タヌキやキリンの置物、雑多ではあるがどこか楽しげなモノが集められている。映画の冒頭で「弟は、なりたかった写真家になった。そう、家族全員を巻き込んで── 」という兄・幸宏の語りと共に、幼少期の政志が初めてカメラを手にして家族写真を撮る回想シーンが映し出されるが、その場所も玄関先だった。政志が考え事をする場所として何度か登場する防波堤。三重県にある風光明媚な防波堤も浅田氏がよく行っていた思い出の場所だ。父親との会話から消防士になりたかった父の夢を叶える=コスプレ写真のアイデアが生まれた場所であり、若奈がイチかバチかの人生の賭けに出た場所であり、浅田家に欠かせないスポットとして映画のなかに刻まれている。
洗浄写真で集まった40,000枚の写真
政志が初めて自分以外の家族写真を撮った記念すべきひと組目の家族は、岩手県に暮らす家族だった。東日本大震災が起き、その家族の安否を心配して政志は岩手県へ向い、そこで写真洗浄をする青年・小野と出会う。震災後の東北のシーンは千葉県の空き地にロケセットを作って撮影している。取り壊しをする予定のある家に相談して、その取り壊し後の瓦礫を空き地に運び、震災後の風景を映し出した。また、写真洗浄シーンで使用する写真は撮影スタッフの家族や親戚、知人友人に声をかけて集められた。その数40,000枚。ラストシーンにむかう映像のなかで「その写真は、誰に見せるわけでもない。その人だけにとって、特別な一枚。思い出を残すだけでなく、時には、今を生きるための力だったりする」という政志のナレーションが入るが、その言葉は「浅田さんが撮ってくれた写真があるから、その写真に支えられています」という、写真家・浅田政志氏に家族写真を撮ってもらった人たちのリアルな声を参考にして書かれたセリフだ。そして「一枚の写真に救われた」というその声を伝えたいと思った中野監督が、映画のために用意したのは莉子のエピソード。父親の写真がないと哀しむ少女のために家族写真を撮る── 莉子をまっすぐに見つめる政志、微笑みながら涙を浮かべる二宮の表情には、とびきりの優しさが滲んでいた。2019年4月27日、その海岸のシーンをもって約2ヵ月に渡る『浅田家!』の撮影はクランクアップを迎えた。